偏見、先入観、恋愛も思い込み

日本国内において、中国の地域を支配する国家に対する呼称は、長い間「唐」(から)が一般的だった。同様にインド亜大陸は「天竺」だった。

竹取物語にも、唐天竺の秘宝の話が出てくるし、古典落語でも唐天竺は登場する。
いわば、「憧れの海外」の代表であったと言っていい。

さて、シナと言う呼称、これは舶来起源だ。
古代中華帝国「秦」の国号が伝わりヨーロッパ諸言語に納まったもので、代表的名産品磁器を意味することもある。

英語ではチャイナだが、ネイティブの発音を聴くと「チナ」に聞こえることが少なくない。

支那と言う当て字自体、中国から渡来したものと言って良い。
亜米利加
英吉利
仏蘭西
和蘭土
などもそうだ。
このほかにも印度支那半島、東支那海、南支那海、なども、西洋伝来の呼称の中国語化したものが伝来したもの。

つまり、この国を「日本」ではなく「ジャパン」と呼称するのと同じことだ。

さて、ナショナリズムをけしからぬものと決めつけている感のあるライターだが、なぜけしからぬのかを、シナがなぜそれを代表する言葉なのかを説明しない限り、仲間内以外での賛同は獲られまい。

中華紙の見出し(本文はそもそも読めない)で、「印度支那」の文字を見掛けた事があるから、中国人が支那を蔑称と取っているとはそもそも思えない。

ナショナリズムを産み出すのは、“どん詰まり感”ではなく対外摩擦や危機感だろう。

明治時代のナショナリズム高揚は、迫り来る欧米諸国の植民地獲得に対する危機感だし、日米戦争前夜には黄禍論に基づく人種差別被害があった。
コントロールを逸したのは、政治と外交の失敗だ。

恋愛も記事を一読して受ける印象は、日本におけるナショナリズムを厭うているようだと言うこと。

ここで、基本的な疑問。
ナショナリズムをどう定義しているのだろう。
国家国土への帰属意識ならば、問題にする方がおかしかろう。

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