出会い系サイトの感情

もう何度でも同じ内容、別の表現で書いているテーマであるが。

人が状況判断を誤る時というのはいくつかのパターンがある。

①可知化できている情報の質、量に不足がある
②本人の知識、実力不足
③本人の状況判断能力に偏りがある

①については明文化されておらずとも、多くの人が経験則で把握している。

「認識外のことにはたとえ神様でも対応できない」ということ。ゆえに状況判断をするにはなるべく広く、深く情報を集める必要がある。100%完璧な情報を集めるのは難しいけど、残りは経験値や仮説で補う。

学校のテストが現実社会の問題よりも「簡単」なのは問題解決に必要な情報が100%与えられているからに他ならない。リアル問題は完全には可知化できていないことまで考慮するスキルが問われる。

②については非常に単純明快でわかりやすい。世間一般ではこれのみが理由であると勘違いされている気はする。実際はその手前に①があり、その後ろに③があるのだ。私の将棋が弱いのは②が主な理由である。

③については「他人はともかく自分はできている」と思っているが「実はできていない」という事例が多い。私自身、常に意識しているがそれでもたまに制御ミスする。ミスとすら気づけない、意識すらしていない人も多いのではないか?

「事実確認や状況判断に感情を混ぜるな」ということである。

往々にして好きなものについては甘い判断を、嫌いなものについては厳しい判断をすると相場は決まっている。社長はドラ息子が悪さをしても甘やかすし、自分の嫌いな人種に対しては「だから○○人は」と一括りに語ってしまう。

「感情を「行動の理由」にするのは問題ないが、「判断の理由」にするのはやめましょう」 ということである。

ドラ息子を甘やかすのは別に良いが、彼がやった悪さを認識するのはまたべつのことだ。「あいつはかわいい息子だから悪さなどやっていないと信じる!」というのがいかに滑稽か。好き嫌いと言う感情と客観的事実には因果関係は生じえない。悪さをしてしまったという事実を認識したうえで、それでも好きだから庇い、助けるというのなら問題ない。

何か問題のある言動をした人間がたまたま特定の国籍だったり、芸人(笑)だったりしたとたんにすべての○国人や芸人をバッシングするのもおかしい。あくまでその特定単数が問題なのである。むろん、その問題が国籍や芸人であることそのものに起因しないのが前提条件だが。

視力が落ちているのにそれを認めようとせずかたくなにメガネをかけないとか、老化しているのにまだ若いと言い張るとか。一番わかりやすいのはすでに負けという結果が出たのに負けを認めようとしないとか、「本気じゃなかった」と言い訳するとか、まあそんなあたり(笑)。

「出会い系サイトの感情をエンジンに、理性をハンドルに」ということ。

感情を行動の理由=動機にするのは非常に強力な推進力を得られる。反面、それをもとに判断をすると大抵判断を誤る。仮に正解の判断ができたとしてもそれは結果オーライに過ぎない。理性や理屈を原動力にできないことはないが、推進力不足なのは否めない。「○○やらなきゃなぁ」が対して長続きしないのは当然のことだ。持続させたいなら感情に結び付けなけりゃね。

そして、あくまでも事実確認、客観的判断は理性に基づいて行う。制御系は感情を切り離して行うべきということだ。少なくとも意識はするとよい。万が一感情的になってしまった時でも早期にニュートラル状態に戻ってこれる可能性が上がる。

「それでもオラは奴のことを信じるぜ!仲間だからな!」と言うのは感情的には理解できるが、私としては残念なセリフになる。「仲間だから」と言うのは「ヤツが正しい」という判断根拠にはならないのだ。善悪や状況の判断なのだから、「まずは調べる」べきである。

強いて書くなら「仮に奴が悪さをしてても俺は奴の味方をする」というほうがまだしっくりくる。これなら「行動の理由」になる。

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